寺坂真貴子です

弁理士です。

2015-09-29

著作権と自由恋愛について思ったこと。

 

自由恋愛は昔からあるけれど、今は昔に比べてとても厳しくなっている。

「自由恋愛」をしていても片方が未成年で片方が大人ならば条例違反になるのは、

若年者は恋愛という美名につけこまれやすいから保護のためだ。

婚姻年齢も男性18とだいぶ上昇させられ、ストーカー規制法もできた。

恋愛の「気持」はなにより大事だけれど社会に生きる以上そこには損得が必ずかかわってくる。

アイドルという多数への恋愛をわけあたえる形も確立された。

アイドル業界では自由恋愛を契約により阻害する行為が合法(3ヶ月で契約をひるがえした場合に損害賠償を認める判例あり)。

 

著作権も同じことで、基本的に親告罪になっているのは、自由に好意を分け与えたいからだ。表現は人に見せたいものだから。

若年者もリッパに表現をするし、搾取されそうなときは保護してやらないといけない。

でも著作権は恋愛でいうとアイドルのような1対多の関係からはじまったため、「自由恋愛の阻害契約」という特殊な例のほうが先に有名になった。

けれど、これからは、自由恋愛のように1対少数、1対1の形も増えてくると思う。

自分の意志で、表現して、相手に気持を伝えることだけは恋愛とおなじく自由なことだとひろまってよい。

(そう思うと、著作権の私的利用の範囲に「家庭」という例があることは、今の少子化社会においてもっとクローズアップされてよいとおもう。友人にCDを貸すのは微妙だが伴侶なり世帯の中で貸すのなら自由、という。著作権民法は家庭にとてもやさしい。)

そしてやはり「きもちを伝える行為」を規制する著作権非親告罪化は、名目によってはどうしてもおかしくなってしまうと思う。

恋愛のほうでいえば、古い風営法ダンスホールが規制されてDJが困るとかいう話は、結局、「自由恋愛の形をかりた弱者被害」を防止するためにはかかわりがなくなってきているから批判がある。

著作権非親告罪化も、「自由な表現の形をかりた弱者からの搾取」を防止するのではなく、アイドルのような1対多をスムーズにいかせる形であって、既に有る法律(たとえば、コピープロテクト外しを規制する不正競争防止法)の範囲でやれていることなのでは。若年者などの著作のプロテクトには、もうすこし萎縮させない方法が必要のように思う。

 

今日はテレビを見ていたら、当時、著作権法がなかったため、べートーベンの第九がモーツァルトの50年先んじた作品にそっくりなフレーズをもつのだという話が出ていた。そのころは新作オペラが出ると、近隣のオペラハウスで似たストーリーをいっせいに掛けた、それがあたりまえだと。

また盲目の才能あるピアニストが出ていた。生後8ヶ月からリッパに鍵盤を通じて「表現」をしていたそうだ。現にどちらの曲もよい表現だったと感じた。でも逆にそれ以外の現代のクラシック表現者は挙げられなかった。全部言葉にすると口幅ったいが、ああ、そういうことだろうなと感じた。「今はそういう時代ではない」には「著作権法があるため盗作しあうほどの情熱交流もできない」も一部含まれているといえそう。

リアルタイムで裾野がひろい、やりとりのある著作といえば、マンガ・ゲームの二次著作くらいである。若い人を妙な法律で萎縮させず、自由にさせてあげられる日本のほうが私は好きになれそうな気がしている。