寺坂真貴子です

弁理士です。

http://www.9393.co.jp/moshiq/kako_mos/2006/06_0729_moshiq.html
http://www.9393.co.jp/moshiq/index.html
(2番目のは明日以降
http://www.9393.co.jp/moshiq/kako_mos/2006/06_0730_moshiq.html
にて公開されます)
を読んで思ったこと。

官僚というものはどこの国でもそもそも公僕であって、なり手のいないものだというのが正しい。
だからといって、公僕の行うサービスがなければ困るのは普通の市民。
それを解消するのに、いろいろな工夫や発明がなされ、例えばタッチパネルとガイドと点字表示をそなえた窓口のコンピューター(インターネットとかソフトとかいうべきか)などはかなりがんばっている。つまり精確な翻訳ソフトがあれば、翻訳の外注費や高い公務員を雇う雇用費、研修費がいらなくなる。
ただ、コンピューターがやる以外の仕事をする公僕はどんな突拍子のない事態が起こっても対処できるようにという考えであって、やはり万が一の何でも屋としての公僕はいないと困る。しかも議会のたびに万が一が起こることは確定に近い。(だから入札が談合がなくても高かったり入札者がなかなか出てこなかったりするのだ)
これから公務もどんどん分解されて、窓口からコンピューターへ、コンピューターから外注先へ、外注先から委託先へ、と勝手に物事が進んでサービスが提供できるようになるかもしれない。
そういうとき、だれがメンテもプランもできるよう公務員を教育するだろうか。だれがその良くわからない仕事をしたがるだろうか。
たぶん、生えている草から勝手に生った実をもぐように調達するのだろう。二股になった木の股に雷がおちると生まれるのかもね。